パート郡

郡スローガン

ディンデーンプーカウキャウ、ティアウロンペー、レーモークポック、ナムトックガーム、ルーナームポラマイ(緑の山、いかだを川に流すこと、霧の覆い、綺麗な滝、有名な果物)

郡役所の所在地

86180チュムポーン県パート郡、パート区、ラーチャグルート-ランスワン通り

電話番号

0-7753-9040

ファクス番号

0-7753-9040
歴史

パート郡は、チュムポーン県に属して、歴史の長い町です。昔、栄光のシュリーヴィジャヤ王国時代、仏暦1766年に既に存在していることが年代記に載っています。パート町は「ムアンパター」と呼ばれ、落ちる、又は谷の意味をしています。それは山脈と川の平野地域地形や丘陵地帯が交互にしているパート郡の地形に合っています。

アユタヤー王朝の後期に2回目ビルマに支配される前に、ビルマ軍はランスワン郡へ出兵する時に、パート郡を通っている途中で、パートの農民が集まって、メーナムランスワン側のシャウカ-イリムのことでビルマ軍と争いました。しかし、ビルマ軍の軍人はグラー民族である為、強くて我慢強いので、パートの農民は耐えられなく、負けてしまいました。

ラーマ5世代、仏暦2399年にプラヤ-・ジャルーンラーシャポーカーゴーン(コーシムテック・ナ・ラノーン)は支配者としてランスワン町を行政しました。その時、東バーンパトをヤイ植民地として推進して、クンパックディーラート(ヤイ・パックディー)を行政者に任命しました。そして、西バーンパトをトーイ植民地として推進しました。両植民地は、ランスワン町へ毎年税金を収納しなければなりませんでした。 ヤイ植民地(東パート)とトーイ植民地(西パート)は、農民の管理及び現地で生じた民事および刑事事件を責任しなければなりません。仏暦2422年に錫の採掘が開始されて、多くの中国人労働を使用しました。その時から、パート郡は経済的に大切な立場があります。

仏暦2460年、内務省はムアンパート町は人口が密集している地域であり、生活や就業が安定している為、地方行政法(仏暦2457年)に従い、郡に変更しました。「パート郡」と呼ばれています。パート郡はランスワン県に属して4のタムボンに分けれています。それは、タムボン・パートタワンオーク、タムボン・パートタワントック、タムボン・パンワーン、そしてタムボン・パークソンです。

仏暦2480年にパート郡の農民は何人もペストで死亡して、他の地域へ移動したようです。移動先は現在のラノーン県ガパー郡とスックサムラーン郡であることが推測されました。その為、仏暦2485年4月1日にて内務所の指令によって、人口の条件に満たさない為、パート郡を解散して、パート支郡に行政の変更がされました。それと供にタムボン・パートタワンオークとタムボン・パートタワントックを連合して、タムボン・パートとして成立されました。そしてキアン・シンカロータイ氏がパート支郡の始めての副郡長として任命されました。仏暦2506年に、パート郡を経て、ラノーン県のランスワン郡へのランスワンーラーチャクルートの通路が構築されました。そして、仏暦2510年に発電所も構築されて、毎日 18:00~24:00時の間に電気の供給がされました。又、同年にパート支郡農業促進事務室が成立されて、現地の農民に農業に関する活躍しました。

仏暦2525年に特にコーヒー等、農産物の価格が良くなって、全国から多くの農民がパート支郡へ引越ししたため、パート支郡の人口も増えてきました。官報第108号107番に公示した仏暦2534年6月19日に内務省により、パート支郡からパート郡の立場へ戻る指令がありました。初めての郡長は少尉・チャヤン・ナークペットでした。

地理

パート郡はチュムポーン県に属した8の郡の一つです。チュムポーン県の西南側に位置して、市内から114キロの距離で離れています。バンコクからペッチャカセーム国道に沿い564きろの距離があります。面積は635,625ライ、又は1,017平方キロで、チュムポーン県の総面積を16.95%占めて、2番大きいです。

ラノーン県のラウン郡

スラーターニー県のターチャナ郡とチャイヤー郡

チュムポーン県のランスワン郡、トゥンタゴー郡、ラメー郡

西

ラノーン県のムアン郡とガパー郡